2009年05月07日
テニスと関係ないけど・・・Good-Bye Kiyoshiro
清志郎が死んだ。癌が転移したって聞いてから久しく何の情報もないから心配していた。心配しながら、もしかしたら・・・って思っていた。連休前のこと、何となくギターをいじっていて気がついたらRCの曲ばかり弾いていた。心の中で「もしも清志郎の追悼ライブをやるとしたら曲順はこんな感じ・・・」とか無意識に考えていた。清志郎の訃報を聞いた時に思った。あれは虫の知らせだったのだ・・・と。悲しいとか残念だとか・・・そんな言葉で言い表せないくらいだ。俺のことを知っている人は皆心配してメールとかくれる。そのくらい俺が清志郎にのめり込んでいること、友人は皆知っている。大学の頃、早稲田の学園祭で初めてライブを見てぶっ飛んだ。「俺もバンドやりたい!」って思ってすぐにバンドを作った。皆から「清志郎みたい!」って言われると、うれしいような反発したくなるような不思議な気持ちになった。ライブハウスとか出るようになって、レコード会社にデモテープとか送るようになったころ、「実力はあるけど、あまりにも清志郎に似すぎている」って理由で取り上げてもらえなくなった。そのころから「清志郎っぽくならないように」意識して歌った。でも駄目だった。清志郎らしさを取り除くと俺らしさまでなくなるようで・・・。演奏を聴きに来る皆も俺に「清志郎らしさ」を求めてるみたいだった。そこで悟った。とことん清志郎らしくやってみようって・・・。もう49になるけど、今もバンドをやっている。サラリーマンだし、昔のメンバーとは違って音楽性もぜんぜん違うけど、どんな音楽をやっても俺の歌は清志郎っぽい。もう今はプロになろうとか考えていないから、いくら清志郎っぽくてもOKだ!自分で言うのも変だけど、清志郎っぽさを競わせたら間違いなく俺が世界一だろう。見た目も声も歌い方も・・・俺らしさはどこにある?って思ったりもするけど、それが俺らしさだって開き直ってる。だから清志郎が死んだってことは俺にとって特別なことだ。何だか自分がスッポリと暗い穴にはまりこんだような感じになる。9日は家族そろって青山斎場に行くつもりだ。思えば妻との初めてのデートはRCの横浜スタジアム、チャック・ベリーが来たあの公演だ。高3の長男は清志郎と同じ4月2日生まれで、バリバリにバンドやってる。次男はロックに興味なさそうだけど・・・。筋金入りのRCファン家族だ。俺は髪を立てて真っ黒な麻の上下で青山斎場に行く。見かけたら声をかけてくれ「愛しあってるかい?」ってね。